江戸初期以後、京都で作られた楽焼以外の陶磁器の総称で、
従来京都粟田口・押小路・深草で焼かれていましたが、
酒井田柿右衛門ら肥前の色絵磁器釉法の影響を受けて
京焼色絵陶器がおこり、明暦(1655-57)の頃、野々村仁清に
よって完成されました。その後清水焼(古清水)・粟田焼の2系統に
受け継がれ、地方窯にも影響し、元禄(1688-1703)の末には
尾形乾山が出てすぐれた作品を残しました。乾山の死後一時不振
となりましたが、18Cのはじめ磁器を焼き始めました。
清水焼が主流となって盛況を呈し今日に及びます。
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