[博多芦屋 霰撫肩釜]
(桃山時代 天正~文禄時代)
胴径 八寸九分
口径 四寸分五厘
高さ 六寸二分五厘
衰退していく芦屋の鋳造地から近い貿易都市であった博多へ芦屋の中でも技術が高いと言われた鋳物師達(山鹿系)が移り住み外来文化を取り入れ、他のどの鋳造地よりも美しく細かい装飾や新様式の造形で創造された茶之湯釜が博多釜です。
(多くの芦屋鋳物師が移り住んだ事から芦屋直系の鋳造地と言われています。)
大小大きさの違う霰の中に巴紋を散りばめたとても珍しい釜です。
霰の下部には網代紋を巡らせ、膾肌のような鉄味をしています。
芦屋工人達の技術力の高さが窺える茶之湯釜です。