[京都粟田焼陶胎七宝製花器]
丹山清海 作 明治12年
清海は明治6年ウィーン万国博に政府の派遣使として参加。そして約8年間ヨーロッパ諸国の陶磁器を研究しその成果を我国に伝えた。帰国してきた彼は祇園の切り通しの名亭魚品楼の為に洋風デザインをとり入れ、黒と緑の花弁を陶胎に加飾し残された有線にかこまれた陶胎に「新羅三郎義光が足柄山中で笙の秘曲を伝えた有名な図」を描き、もう一方には「紀元二千五百三十九年 春 三月 為 魚品楼 華頂山陰丹山製作」と記している。
この花器は粟田焼と七宝焼の二法を融合させた初期の年代を明らかにした歴史的な作品である。
高さ36cm
口径12cm